2008年05月17日

湖底の底から



分水嶺から30分くらい行った御母衣湖のほとりに大きな桜の木が二本あった.
目的地はその先にあったので水芭蕉と同じく,突然現れた荘川桜の文字に,見ごろは過ぎていたが感動のあまり思わず声を上げていた.
ダム建設に伴い湖底沈む運命にあった2本の巨木桜を3名の男たちを中心に,困難な作業の後に現在の位置に移植した感動的な話は誰しも一度は聞いたことがあるだろう.
この荘川桜,最底辺から這い上がった男たちの物語と重なり,忘れられない思い出になりそうだ..  
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2008年05月16日

分水嶺の向こう側

Posted by うなが at 23:07Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月11日

ウェーブスタジアム

左がアリーナ(体育館とプール)奥がスタジアム,右がサッカー場(芝1面,人工芝1面,人工芝のフットサルコート1面?)


  
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Posted by うなが at 18:20Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月11日

MIO戦

記録したところだけ書きます.

風 左から右(琉球前半風下),かなり強い,ピッチあまり良くない,センターサークル付近は土がむき出し.
湖南グランドのスタンドは,メインとバックの芝生席のみ,メイン横に露店が出ていて,試合中もたこ焼きの旗が見える変な風景.バックで応援していた琉球サポは12~13名.
公式での観客は1674名となっているがとてもそんなにいたとは思えません.

  
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Posted by うなが at 16:13Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月10日

アレオーアレオーアレミーオアレーオ

アレオーアレオーアレミーオアレーオ,アレオーアレオーアレミーオアレーオ

琉球も使っている聞きなれたチャントがスタジアム中に響き渡っていた.
声の主はMIOサポのコールリーダー,響き渡るきれいな声で,一人で少ない琉球サポはおろか,MIOサポまでも圧倒していた.
MIOサポのコールリーダーに感動したことと,フィットした歌詞にはまってしまい,その後ずっと刈谷に行くまで車の中で幾度と無く歌い続けていた.

琉球にはこれといったチャンスも見せ場も無く,MIOサポのコールリーダーと子供たちが懸命に運営にかかわっていたことだけが印象に残っている.フラッグをあげているシーンも始めて見たが,子供たちが中心に準備している姿も始めてみた.

フラッグを上げていた子供たちが”トルシエ総監督は来るの”と写真を撮っている私に聞いてきた.”今はフランスに帰っていて,6月にならないと戻って来ないよ”というと残念そうにしていた.

試合開始1時間くらい前になると琉球の選手がピッチに出てきて練習をはじめた.先発組みらしい10名の中に平松がいた.それとは別に2名の選手がトラックの外側を何度も何度もゆっくりしたペースで走っていた.一人は元気そうであったが,一人は左足に裏側にテーピングがしてあった,前の試合での不可解なレットで出場停止の福太郎と怪我をしているミヌングだった.

ミヌングが見られるのを楽しみに来たがサブにも入っていない.残念だが仕方がない,今の琉球にミヌングなしで大丈夫かと心配したが,不安は的中し,決定的なチャンスの少ない,感動の少ない試合だった.琉球で唯一いい動きを見せたのが中村選手,平松や山下と絡み幾度と無くチャンスを作り出していたが,一人ではどうしようも無かった.

GWのさなか渋滞覚悟で11時間も車で走り続けてきた先に待っていたのは,不運な失点と煮えきれない琉球選手と,感動に値するチャントを歌い続けるMIOサポのコールリーダーだった.

試合後,出待ちをしていた我々に榊原さんが次の刈谷戦には,名古屋から70名ほどサポーターを連れてくると誇らしげに話していたが,そのときには,私の観戦歴のなかでワーストともいえるほどの不甲斐ない試合になるとは想像も出来なかった.
  
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2008年05月08日

湖南写真

Posted by うなが at 00:38Comments(2)TrackBack(0)