2014年08月21日
「とみしろ」じゃない「とみぐすく」だ
タイムスに豊見城市商工会青年部が国際通りで豊見城市の呼称は「とみしろ」じゃない「とみぐすく」だとPR活動をしたとの記事を読んだ。市長も参加し「素晴らしい企画。どうしたら「とみぐすく」と呼んでもらえるか、しっかりPRしたい」コメントしている。
私も「とみしろ」の誤称問題は保栄茂の呼称とともに以前からとても気になっていたので、タイムスの記事を契機に私の意見を書きたいと思います。
どうしたら「とみぐすく」と呼んでもらえるか?答えは簡単です。でも実行は難しい。「とみぐすく」が「とみしろ」と呼ばれ始めたのは、新設の県立(琉球政府立)高校や団地の名称に「とみしろ」を用いたことがきっかけだと思います。1966年に豊見城高校、1969年に豊見城団地、1981年に豊見城南高校。
皮肉にも1975年から1978年にかけて豊見城高校が甲子園で活躍したことが地名としての「とみしろ」の呼称が広まった原因のひとつだと思います。復帰前は沖縄全体で本土化を推し進める風潮があり、豊見城高校や豊見城団地に大和読みの「とみしろ」を充てたのでしょう。復帰前は致し方ないとして、1981年に翁長の地で建設された高校の呼称に「とみぐすく」が付くのではと期待していたので、「とみしろみなみ」に決まった時は少しがっかりしました。これも豊見城高校が存在する以上、仕方なかったのでしょう。
どうしたら「とみぐすく」と呼んでもらえるか?答えは簡単だと思います。でも実行できる可能性は限りなくゼロに近いと思います。豊見城高校、豊見城団地、豊見城南高校の呼称を「とみぐすく」に変更する。そうすると10年もたてば「とみぐすく」が浸透すると思いますが、高校OB等の心情を配慮すると校名変更なってとても無理だと思います。「とみぐすく」を浸透させるには今回のような市民運動を地道にやっていくしか方法はないでしょう。
2002年の市制化時に市民にとったアンケートでは新しい市名として「とみしろ」が多かったそうです。豊見城は那覇市のベットタウンとなっており、他の市町村からの移住者が多くそのため、従来の呼称への固執がなく「とみしろ」の意見が多かったのでしょ。しかし、選定委員会が従来の読み方を尊重し辛くも豊見城(とみぐすく)が選ばれた経緯がある。
2007年11月富山県魚津市桃山でのYKK APとの試合の帰りに長野県白馬村の蕎麦屋さんに寄った。すると下記の趣旨の文言が入った白馬岳の写真がテーブルに置いてあった。
「代がき馬が現れる山を代馬(しろうま)岳と呼び、それがいつしか白馬(しろうま)岳になり、さらに村名は白馬(はくば)村になってしまった。山の名前だけは白馬岳(しろうま)のままにしてほしい。」
悲しいけど豊見城高校の活躍により、多くの県民ばかりか豊見城市民まで豊見城のことを「とみしろ」と呼ぶようになった。せめて豊見城市民だけは「とみぐすく」と呼んでほしい。豊見城の地名だけは「とみぐすく」のままにしてほしい。
私も「とみしろ」の誤称問題は保栄茂の呼称とともに以前からとても気になっていたので、タイムスの記事を契機に私の意見を書きたいと思います。
どうしたら「とみぐすく」と呼んでもらえるか?答えは簡単です。でも実行は難しい。「とみぐすく」が「とみしろ」と呼ばれ始めたのは、新設の県立(琉球政府立)高校や団地の名称に「とみしろ」を用いたことがきっかけだと思います。1966年に豊見城高校、1969年に豊見城団地、1981年に豊見城南高校。
皮肉にも1975年から1978年にかけて豊見城高校が甲子園で活躍したことが地名としての「とみしろ」の呼称が広まった原因のひとつだと思います。復帰前は沖縄全体で本土化を推し進める風潮があり、豊見城高校や豊見城団地に大和読みの「とみしろ」を充てたのでしょう。復帰前は致し方ないとして、1981年に翁長の地で建設された高校の呼称に「とみぐすく」が付くのではと期待していたので、「とみしろみなみ」に決まった時は少しがっかりしました。これも豊見城高校が存在する以上、仕方なかったのでしょう。
どうしたら「とみぐすく」と呼んでもらえるか?答えは簡単だと思います。でも実行できる可能性は限りなくゼロに近いと思います。豊見城高校、豊見城団地、豊見城南高校の呼称を「とみぐすく」に変更する。そうすると10年もたてば「とみぐすく」が浸透すると思いますが、高校OB等の心情を配慮すると校名変更なってとても無理だと思います。「とみぐすく」を浸透させるには今回のような市民運動を地道にやっていくしか方法はないでしょう。
2002年の市制化時に市民にとったアンケートでは新しい市名として「とみしろ」が多かったそうです。豊見城は那覇市のベットタウンとなっており、他の市町村からの移住者が多くそのため、従来の呼称への固執がなく「とみしろ」の意見が多かったのでしょ。しかし、選定委員会が従来の読み方を尊重し辛くも豊見城(とみぐすく)が選ばれた経緯がある。
2007年11月富山県魚津市桃山でのYKK APとの試合の帰りに長野県白馬村の蕎麦屋さんに寄った。すると下記の趣旨の文言が入った白馬岳の写真がテーブルに置いてあった。
「代がき馬が現れる山を代馬(しろうま)岳と呼び、それがいつしか白馬(しろうま)岳になり、さらに村名は白馬(はくば)村になってしまった。山の名前だけは白馬岳(しろうま)のままにしてほしい。」
悲しいけど豊見城高校の活躍により、多くの県民ばかりか豊見城市民まで豊見城のことを「とみしろ」と呼ぶようになった。せめて豊見城市民だけは「とみぐすく」と呼んでほしい。豊見城の地名だけは「とみぐすく」のままにしてほしい。
Posted by うなが at 20:12│Comments(0)
│雑記